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忌中と喪中の考え方

忌中の2つの側面

お葬式の時のはこれでもかというほどに、寺院から読経をいただきます。

枕経、通夜、葬儀、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(四十九日法要)。1か月半の間にこれだけの数の法要を執り行うわけです。いかに昔の人が死後の世界での救済を求め、死者の荒魂を鎮めようとしたかが伺いしれます。

前回の記事で、四十九日間の忌中の慎みには、インドや中国から続く、仏教的な「輪廻転生」に伴う追善法要をして故人の往生を願うためとしました。

でも、なぜわざわざずっと忌み籠らなければならないのでしょうか?

そこには、忌中のもう一つの側面があります。

殯(もがり)-日本独自の穢れ感

さて、現代でも四十九日間は身を慎むという風習が行われているのは、インドの中陰法要や中国道教の十王信仰の影響が色濃く反映されているのですが、それだけではなく、仏教伝来以前から日本で行われている「殯(もがり)」という葬法も影響しています。

殯とは、死者を棺の中に納めて仮祀りすること、あるいはその場所を呼びました。家族はその遺体を土葬や火葬にするわけではなく、遺体とともに過ごしました。殯の期間に決まりはないようで、1年から3年も祀ることもあったようです。

遺体とともに長時間、身を慎むという葬法は、古代の日本人たちが、人の死を瞬間的な刹那的なものとして認識していたのではなく、おもむろに、遺体の白骨化とともに魂もあの世に移ろっていくと考えていたようで、その移行とともに死を受容してきたのだと思われます。

また、古くからある「死穢」の観念も影響しているでしょう。死穢は、遺体そのものだけでなくその家族にも及び、ゆえに不幸のできた家族は忌み籠り、他人の家や村中に伝染しないようにしました。

忌み籠る期間は四十九日間とされ、それまでは外出を控え、社会活動の一切を禁じました。

つまり、「忌中」という考え方は、仏教的な輪廻転生の考えに基づき、家族が故人の極楽往生を願って追善法要をする期間②日本の古代民俗から行われている殯の名残や、穢れの浄化に基づいていると言えます。

忌明けは三月(みつき)をまたがっちゃだめなの?

その月の中旬や下旬に不幸が起きた場合には、四十九日法要が三カ月をまたぐことがあり、これを避けるために五七日(三十五日)で法要を執り行うのはよく見る光景です。

さて、なぜ三月をまたがってはだめなのでしょうか?。

実はこれ、「始終苦が(四十九日)身につく(三月)」という語呂合わせから来ています。早く仕事に復帰したい商家などから始まったものだという説があります(諸説あり)。

もちろんインドでは中陰は四十九日間とされていますし、その影響から、日本でも昔から死後の往生や忌明けは四十九日間でした。これは仏教的にも民俗学的にも意味のあることです。月をまたがってはいけないということはありません。しっかりと追善供養をして、故人の往生を願いましょう。

もちろん事情によって三十五日で忌明けとしても構いません。寺院と相談しましょう。

忌中と喪中

忌中と喪中。よく使う二語ですが、どう違うのでしょうか?

忌中とは、家族が社会活動を忌み慎む期間のことです。四十九日法要を持って忌明けとします。共同体における社会的なルールだと言えます。

喪中とは喪に服する、つまり故人を偲ぶ期間のことを指します。そのため、いつまでが喪中か定めたものはなく個人的な感情に基づきます。

さて、日本には古くから「服忌」の制度がありました。身を慎む期間や、その期間中にしてはならないことなどが定めれていました。

服忌は武家と公家とでその制度の内容は異なり、公家の方が長い期間喪に服していたようです。

そして、政府は明治七年に服忌令を布告して、武家方式の服忌制を全国統一のものとして制定しました(昭和22年に廃止)。現代の忌や服にもこの服忌令の考え方が踏襲されている面もあります。

忌中や喪中の過ごし方

忌中に控えることには以下のようなものがあります。

  • 慶事の参加
  • 神社や神棚の参拝
  • 祭礼や行事への参加
  • 旅行や行楽

忌明けが済んだあと、いつまで喪に服すのかは人によって異なりますが、一般的には半年から1周忌までと考える方が多いようです。

年賀状を控えて年末に年賀欠礼を出すのもこのためです。正月の神社への参拝も控える方が多いのですが、このあたりは個人個人が判断するのでよいでしょう。