キリスト教のお葬式 カトリックとプロテスタント
キリスト教とは
キリスト教とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)と信じる宗教で、全世界に20億人もの信者を持ち、信者の数は世界で最も多いです。
宗派も世界中に数多くの諸派に分かれていますが、主にカトリック系とプロテスタント系に大別することができます。
イエス・キリストの時代を起源とするカトリック系の権威は教会であり、中世の宗教改革によって成立したプロテスタント系は教会の権威を認めながらも聖書の権威を強調します。
教会と聖書。その権威の違いとは何を意味するのでしょうか?
カトリックとプロテスタント
もともと聖書はラテン語で書かれていました。そのため、聖書の内容を理解しているのは一部のエリート層や聖職者だけであり、一般の庶民には理解されませんでした。
つまり、教会や神父は聖書と信者のパイプ役だったわけで、信者は教会に通うことにより、聖書の教えを知ることができたわけです。そのため、教会の権威化にともなって、教皇の世俗化や神父は特権階級の濫用が広がり、そんな腐敗や堕落に対して中世の宗教革命が起こります。
プロテスタントとは直訳すると「抗議」「抵抗」などの意味ですが、文字通りカトリック教会へのプロテストだったわけです。聖書は万人が読めるべきだという主張が起こったわけです。これはグーデンベルグによるルネサンス期の印刷技術の飛躍的な進歩が背景にあり、民衆の識字率の向上が宗教改革につながりました。
宗教改革はルイ10世の免罪符(贖宥状)の発行が直接的な起因だと言われています。サン・ピエトロ大聖堂建造の資金調達のために免罪符を販売し、購入したものはその者が犯した罪が許されるとしたのですが、本来罪の許しは金銭で交換できるものではないと、ヨーロッパ中で批判が沸き起こり、その筆頭がドイツのマルチン・ルターでした。
宗教改革を後押ししたのは、先にも書きましたが印刷技術の向上と、民衆の識字率の向上でした。ルターはドイツ語訳の新約聖書を書き上げ、それらはまたたく間にヨーロッパ中のキリスト教信者に読まれ、彼らは聖書の中身を初めて直接目の当たりにしたのでした。
彼らは教会を媒介することなく聖書の教えに触れることができるようになったのです。
葬儀へのスタンス
現代の日本のキリスト教信者は約260万人と言われています。少数ではありますがキリスト教葬儀はほぼどこの葬儀社で対応可能なので、直接相談すればよいでしょう。場所は、教会か斎場で行うことが多いです。
カトリック、プロテスタントでそれぞれ重要な儀礼がいくつかありますが、上記のような歴史的成り立ちから、権威主義のカトリックでは伝統的な儀式に厳格で、民衆に寄り添ったプロテスタントは比較的自由で柔軟だ、というのが一般的傾向です。
キリスト教の葬儀では「死の迎え方」を大切にします。
死者はまさに今、司祭・神父(カトリック)、あるいは牧師(プロテスタント)の立ち会いのもと、神に祈りながら息を引き取ることを大切に考えています。
キリスト教での死は「召天」や「帰天」などと呼びます。地上での罪が許され、神の許に帰る(召される)ことで永遠の安息を与えられます。そしてやがて訪れる「復活の日」まで天国で過ごすと考えられていて、イエス・キリストの復活を死生観の基盤に置いている考え方です。
いつも通っている教会があれば、葬儀の相談をそこの神父(牧師)さんに相談されるとよいでしょう。
また、これまで教会とは縁がないがキリスト教で葬儀をしたいという方の場合、カトリックよりプロテスタントの教会の受け入れてもらいやすく、これはカトリックが伝統的な教義に厳格な宗派のため、信者でなければ受け付けていただけないことが多いからです。